◆蓋碗について
蓋碗とお茶の飲み方の変遷
中国の蓋碗は長い歴史を持つ茶器です。
もともとお茶は薬として始まり、生姜や塩などと共に煮て食べるものでした。時代を経て今から1000年ほど前、宋の時代、日本では平清盛のころになると茶葉を粉にして器に入れて飲む点茶という飲み方に変わっていきます。この点茶法は臨済宗の開祖・栄西が日本に伝えたと言われ、日本では今も抹茶として親しまれています。
景徳鎮の青花蓋碗
やがて500年ほど前、明の時代になるとお茶の粉は現在のような乾燥茶葉に変わり、茶葉から抽出した湯を飲む現代の形になります。この頃、やかんとして使われていた湯瓶のような形の茶壺(急須)を使って茶を淹れるスタイルと、点茶と同じように茶葉を直接、器に入れる蓋碗スタイルの二つがお茶の飲み方として定着します。
この頃まだ烏龍茶はありませんし、中国では現在も緑茶の生産量がお茶の7割ほどを占めています。この頃、お茶の重要な産地で街としても栄えていた杭州あたりでお金もちの商人や役人が蓋碗をもって緑茶を飲んでいる姿が当時のスタンダードなお茶文化スタイルと言えるかもしれません。
蓋碗を使うにあたって
さて、蓋碗で緑茶を飲む際の特徴は、
四川の長嘴壺
長嘴壺茶技
四川の蓋碗茶といえば、口の長いやかんを使った茶技を思い出します。様々なアクロバティックな技があるのですが、これはこういう芸として別枠だと思っていたら、四川で劇を見る際にテーブルに蓋碗がおかれ、時折り長嘴壺をもった女性が来てお湯を足してくれるではありませんか。確かに人の多い劇場の席を回って湯を注ぐには便利かもしれません。かなり練習は必要でしょうが。
でもこの長嘴壺、ちょっと調べた限りでは由来がわかりませんでした。お茶の人工栽培発祥の蒙頂山にある博物館の人がずっと茶の歴史にそって展示品を説明してくれたのですが、最後の方に長嘴壺を見つけ由来をたずねたところ、いやこれは知らない、と言われてしまいました。。
1、受け皿ごと持ちます。
もともと蓋碗の始まりは唐の時代、四川省の成都で役人の娘が茶杯が熱くて持てないので木の皿にのせ、安定しないので、ろうで真ん中に円を作って固定させたというのが始まりと言われています。後に述べるように蓋碗は急須代わりにも使われるようになりますが、一人のみをするタイプの蓋碗の方が大きいことが多いようです。
2.半分から3分の2飲んだら、湯を足します。
急須のように湯を茶海(公道杯)に注ぎ切るのに比べ、茶葉が湯につかりっぱなしになるので良くないと思う方もいらっしゃるようですが、意外に合理的です。飲んでいるうちに底の方の茶は濃くなっていきますので、注ぎ足した際に割りと頃合いの濃度になります。またお湯の温度100度の場合に比べ60度の場合は成分が半分ほどしか出ません。つまり飲んでいるうちに冷めていき、冷めていくにつれ成分も出なくなるので、濃くなって飲めない、というほどのことにはならないのです。
3.蓋を使って濃度をならす
飲み始めは蓋を使って湯の表面をなで、浮いている茶葉をよけつつ、茶をやさしくかきまぜて濃度を均一にします。浮いている葉が多い時は蓋をおさえたまま透き間から飲んでもOKです。四川省の茶館では蓋を使った暗号があり、郊外では今だに通用する店もあるようです。例えば、蓋をテーブルの上に置くと、もうないから湯を注いでくれ、という意味、イスに置くとすぐに戻るという意味だそうです。
蓋碗の使い方はこちらをご覧ください。
烏龍茶と工夫式と蓋碗
やがて福建省で烏龍茶が生まれるとそれに伴い広東で小さい茶壺を使い時間や手順など淹れ方にこだわった工夫式と呼ばれるお茶の淹れ方が生まれます。蓋碗も工夫式で使われるようになり、100cc前後、少し小さめの蓋碗を急須代わりに使う形が誕生するのです。面白いことにもともとの一人のみの蓋碗の方が120cc〜200ccくらいと大きいことが多いのです。ひとつには工夫式は烏龍茶を前提にしている点。烏龍茶は3〜4回は淹れられるので、小さめの器でも総量は多くなります。もう一つは工夫式は品茗杯と呼ばれる茶杯も小さい点。25cc程度の茶杯ですので100ccの蓋碗で十分なわけです。現在も福建省などでは蓋碗と茶海、茶杯の茶器セットがごく普通に販売されています。この場合の使い方は
1.碗身を中指、親指で持ち、人差し指で蓋を押さえる。受け皿は持たない。
という形になります。お湯をいっぱいまで入れるとやはり熱いのでご注意を。